うちの長男は、大学の建築学科を卒業後、方向を変えて洋服デザインの専門学校に通っているのですが、最近、あるコンテストの二次審査のためにアートな洋服?を製作しました。
とても面白いなと思うのは、そのデザインが「簾(すだれ)」を連想させることです。我が家の和室の窓には、ちょっとくたびれた簾がかかっているので、「そのデザインは、あれを見ていて思いついたんでしょ?」とよく言っています(笑)。
それで思い出したことがあります。長男は生後しばらくは私の実家で過ごしたのですが、いつも、南側の窓の方をじっと見つめていました。
全面の障子ごしに冬の柔らかな光が差していたのを覚えています。長男の目に、その光はどのように映っていたのでしょう。
そして、最近気付いたのですが、今の自宅(自由設計)は何となく実家の作りに似ているのです。高校を卒業して家を出るまで、親子関係の問題など、こどもとして辛い日々でしたが、器としての「家」は全てを包括して「そこにあった」のだなあ、と思います。
こどもが成長して自分の「家」を築くとき、無意識のうちに自分が育った環境を再現するのかもしれません。幼馴染の現在の家に行くと、昔遊びに行った彼女の実家の雰囲気によく似ていることがあります。
良くも悪くも、それがその人のルーツ=刻印されたもの、なのでしょう。そうして、ICは脈々と受け継がれていくものなのかなと思います。
幼いこどもは、あらゆる要素を吸収して成長します。家族の愛情のやりとりはもちろんですが、具体的な環境として、天井の木目、部屋に差し込む光、音の反響、空気の流れ、床の感触、生活の中の匂い・・・
全てがその子の感性を育て、その感性は、将来、あらゆるシーンで表現されて花を咲かせるのでしょう。育つ環境はとても大切ですね。
ICとは、両親(育った環境・家庭)から受け取る全てのイメージであり、MCを通して世の中に表現され、そして次の世代に受け渡していくものなのかな、と思います。
くたびれた簾も少し役に立ったかもしれません(笑)。。。
【参考記事】
ICについて① ヒーローとシャドウ
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