水瓶座の冥王星~徳川家康とパクス・トクガワーナ~

先日、NHK『英雄たちの選択スペシャル~戦国のプロが選ぶ 徳川家康・平和への選択~』を観たのですが、そこで「パクス・トクガワーナ」という言葉を知りました。

「パクス」とはラテン語で平和、「パクス・トクガワーナ」は「徳川の平和」を意味するそうです。(静岡県立美術館の館長さんが命名されたとか。)

江戸時代は250年以上も平和が続いた稀有な時代と言われていますね。(個人的には、250年で長いというのは違和感ありますが。。)

その礎を築いたのが徳川家康。

75年の波乱の生涯で、どんな経験が平和へと導く力となったのか?

あらためて、大河ドラマの主人公でもある徳川家康公のチャートを見てみると、、

太陽のサインが自分のイメージとは異なり、さらに水瓶座の冥王星!で興味深かったので、家康公について書いてみようと思いました。(趣味的内容です。。)

徳川家康公の生年月日

まずは、生年月日について、いくつかの面から検証してみました。

寅年?卯年?

Wikipediaによると、天文11年(1542年)12月26日、岡崎城において生まれました。

ユリウス暦では、1543年1月31日生まれ。

そして、先発グレゴリオ暦では、1543年2月10日、とあります。

*先発グレゴリオ暦とは、1582年から施行されたグレゴリオ暦の暦法を、1582年以前にも適用したものである。(Wikipediaより)

日本の暦と西洋の暦は異なるので混乱しますが、、まずは日本の暦を確認してみます。

通説では、家康は「寅の年、寅の日、寅の刻」に生まれたと言われていますが、近年、陰陽道の祭祀や占いにおける記録から、卯年である可能性が高くなっているそうです。

ネットで調べてみて、一番納得できた説明としては・・・

陰陽道では、新年は立春正月節から。現在は立春といえば2月4日だが、旧暦では年によって変動があり、天文11年には12月23日に立春があった。

したがって、立春を区切りとする数え方では、家康の誕生日12月26日はすでに年がかわった卯年となる。

つまり、家康公が生まれた年は、天文11年12月22日までは寅年で、翌12月23日から卯年になった、という説です。

とすると、この年は「癸卯(みずのと・う)」で、今年と同じ組合わせになります!

六十干支の中で、生まれた年と同じ干支の年に大河ドラマで注目される、とすれば興味深いですね~。

先発グレゴリオ暦

ユリウス暦の「1543年1月31日」でチャートを作成すると、太陽が水瓶座20度になります。

これは、先発グレゴリオ暦の日にち(2月10日)の太陽の度数になります。(つまり、チャート作成ソフトが自動的に変換計算してくれている)

で、先発グレゴリオ暦の「1543年2月10日」を、四柱推命ソフトに入力してみると、「卯の年、寅の月、寅の日」となるようです。

やはり、ちょうど480年前の癸卯年生まれとなる??

八白土星?七赤金星?

東洋占術では九星による見方もありますね。

これまでは、家康は八白土星・寅年の生まれで、子孫繁栄、忍耐強く決断力もある大器晩成のイメージが強かったのですが、卯年となると、七赤金星・卯年の組合せになるのでしょうか??

それとも、九星については、年の区切りが異なるのでしょうか??

七赤金星だとすると、これまたイメージが変わり自分にとってはちょっとした事件です(笑)

家康の九星、干支は何でしょうかね~

家康公のチャート(仮)

あれこれ書きましたが、、、とりあえず、ユリウス暦「1543年1月31日」、「寅の刻」である午前3時~5時の真ん中をとって午前4時、岡崎市生まれ、を採用してみました。

注:以下、このチャートがほぼ正確であると仮定して、話を進めていきたいと思います!

チャートのポイント

印象的なのは・・・

  • 太陽・ノード・冥王星・金星-土星-天王星による不動宮のTスクエア
    (かなりの頑固さ、不屈の意志により新しいやり方で世の中を改革する、自由と制限の葛藤、情に流されない博愛精神)
  • 射手座の月と蠍座の木星
    (学問好き、人々を導く、意見の主張、強い信念)
  • ノードの配置
    (厳しい母親的存在からの大きな影響、学問への導き、目に見えない精神的支え、人やものごとの縁の結び目)
  • 山羊座29度の水星木星のスクエア
    (コミュニケーション力、現実的な知識の構築と活用、戦略的思考、観察眼)
  • 牡羊座の火星
    (闘争心と決断力)

ポイントの検討

このチャートによると、風と火のサインが強いですね。直感、コミュニケーション力、パッションで人々のモチベーションを上げる、など。

そして、太陽は水瓶座で「みんなのために他人とともに革新し知性化するエネルギー」です。

地のサインが強いイメージだったので意外でしたが、「戦乱の世を終わりにした」のですから、言われてみれば納得です。

特に目立つのが、太陽に冥王星が合、土星がスクエア、天王星がオポジションで、限界なきほどの苦難を乗り越え、じっと我慢して道を切り開く大器晩成型、不死鳥のように変容をとげる可能性と言えるかも。

これもすごく納得ですね~。

冥王星オリエンタルで、まさに人脈が人生を開きました。

射手座の月(出生時間による)と牡羊座の火星がスクエアであれば、生来は、短気で好戦的な面が強かったのかもしれません。あるいは強い母親、母親に関する傷、過酷な幼少期など。

家康は、数え3歳のころ実母と生き別れ、6才~19才頃まで織田家や今川家の人質として暮らすなど、幼い頃より波乱万丈な人生でした。

(仮のチャートでは、月と海王星が軸に接触していることも、母の重要性や家での寂しさを連想させます。)

ですが、今川家では雪斎から英才教育を受け、その学びが後の人生に重要な影響を与えたと言われています。射手座の月にとって、ある意味ラッキーだったのかも。

(午前6時半頃に月は山羊座にうつります。どうですかね~)

平和への選択

『英雄たちの選択』では、運命を決めた家康の平和への選択はどこにあったか、全国の歴史研究家などにアンケートをとりました。

その結果は以下の通り。

5位以上については、家康がそこから何を学んだのか、番組の分析を参考までに付記しました。

  • 10位…人質生活(6~8才)
  • 9位…大阪夏の陣(73才)
  • 8位…長篠の戦い(34才)
  • 7位…信康事件(38才)
  • 6位…三河一向一揆(22才)
  • 5位…本能寺の変(41才)と伊賀越え→持続可能な組織とは
  • 4位…小牧長久手の戦い(43才)→かつての敵を家臣に、柔軟性
  • 3位…関ヶ原の戦い(59才)→勝負は時の運
  • 2位…桶狭間の戦い(19才)→厭離穢土欣求浄土おんりえどごんぐじょうど」乱世から平和へ
  • 1位…三方ヶ原の戦い(31才)→人生最大の敗北、謙虚さ

1位に選ばれたのは、人生最大の敗北である「三方ヶ原の戦い」でした。

これは、家康と織田信長vs武田信玄の戦いで、家康は命からがら逃げ延びたのだそう。

人生最大の敗北が1位とは、挫折は人を最も成長させてくれる体験であると多くの人が考えるということでしょう。

ここで、1位~3位のできごとについて、年齢順にトランジットチャートを見てみましょう。

年齢については、Wikipediaに記載されているものを採用しました。現在で言う「数え年」とも少し違うようですが、、とりあえず数え年としました。

桶狭間の戦い(19才)

永禄3年5月19日(1560年6月12日、ユリウス暦)

桶狭間の戦いとは、今川義元vs織田信長の戦いです(信長が勝利)。

アンケートでは、「家康・平和への選択」第2位となっています。

当時今川家の人質であった家康は、義元の死後、妻子や今川軍がいる駿府城ではなく、松平の城であった岡崎城に入ることに成功し、まもなく今川からの独立を果たします。

千載一遇のチャンスを活かし、10年ぶりに岡崎城へと帰還したのです。

長い人質生活の終わり、まさに人生のターニングポイントと言えますね。

現在の年齢にすると、弱冠17才。このような判断ができたことは、幼少期からの長い人質生活で、常に「いざというとき」のことを考える訓練ができていたのかもしれません。

出生図へのトランジット

トランジット天王星が土星に合で、Tスクエアに接触しています。

いままでの制限(人質)を打ち壊して独立する、まさにそんなできごとだったのでしょう。

その他、

トランジット木星が海王星に合
トランジット海王星が天王星にスクエア

変化、独立、精神性(宗教など)の意味が強調されているように思います。

*「厭離穢土欣求浄土おんりえどごんぐじょうど」については諸説あるようですが、今川義元の死後、敵に攻められ前途を悲観した家康が、大樹寺の松平家の墓前で切腹しようとしたところ、住職に諭されて思いとどまったときに授けられた、とも言われています。

その意味は、「穢れた戦国の世から清らかな平和の世にする」。

その後、家康はこの言葉を旗印として掲げました。

三方ヶ原の戦い(31才)

元亀3年12月22日(1573年1月25日、ユリウス暦)

武田信玄vs織田信長・徳川家康の戦い。武田軍の圧勝。

「家康・平和への選択」第1位です

家康軍は武田軍の策略にまんまとはまって総崩れとなり、身を楯にして家康を守る家臣に囲まれながら、逃げ延びました。

まさに人生最大の敗北が、平和の礎につながる経験の第1位に選ばれました。

自分のために命を投げ打った家臣たちへの思いや、負けるということがどんなことであるかも、胸に刻んだことでしょう。

出生図へのトランジット

トランジット土星が土星に合で、Tスクエアに接触しています。

時期としては、まさに土星回帰ですね~。

ここでの体験が、その後の人生の土台を作ったというのも納得です。

その他、

トランジット木星が海王星に合は、桶狭間の戦いのときと同じですね。精神的、宗教的な体験の時期と言えるかもしれません。

関ヶ原の戦い(59才)

慶長5年9月15日(1600年10月21日)

「家康・平和への選択」第3位です

関ヶ原の戦いとは、徳川家康を中心とした東軍と石田三成を中心とした西軍が美濃国(現在の岐阜県)関ヶ原で行った戦。

とても有名な合戦ですが、実は半日で勝負がついて家康が圧勝したそうです。

表向きは西軍有利にも見えましたが、近年発見された資料などから、実は合戦前から勝負はついていたとも言われています。

合戦に際して家康が諸大名に送ったとされる書状は、簡潔かつ相手の気持ちに寄り添った内容で、タイミングも絶妙だったそうです。

それに対して、三成の書状は自分の思いをだらだらと書き綴っていて、書状だけでも勝負は一目瞭然。

どちらを信用するか、どちらに付いた方が有利か、ぎりぎりになってオセロが一気にひっくり返されて、家康に軍配が上がったのでしょう。

出生図へのトランジット

時期表示としては、土星が蠍座に入ったところ、2回目の土星回帰です。

そして、1603年2月、家康は征夷大将軍の座につき、諸大名を統括するトップとなります。(戦略的土台の完成)

その後、10年以上かけて豊臣を弱体化させて、江戸幕府体制を堅固にしていきます。

なんと辛抱強い。。

その他、

トランジット天王星が木星にオポジション・・・突然の幸運?
トランジット海王星が天王星に合・・・これは桶狭間の戦いのときと同じ組み合わせです。

関ヶ原の戦いの頃のトランジット

ちなみに、関ケ原合戦の頃の天体同士のトランジットは・・・

  • 土星と冥王星がオポジション…1599年11月~1600年8月
  • 土星と天王星がオポジション…1599年12月~1601年9月
  • 土星、天王星、海王星がサイン移動

天下分け目の戦いのとき、破壊と再生、新旧の交代など、やはりダイナミックな天体配置が重なっていますね。

平和を維持した江戸時代と冥王星のサイクル

260年の江戸時代の始まりと終わりを見ると・・・

  • 冥王星 in 牡羊座…戦いの末に、家康が江戸幕府を開く
    ⇒冥王星 in 牡牛座…大坂夏の陣で豊臣が滅びる
  • 冥王星 in 牡羊座…幕府は度重なる海外からの交渉を強硬に拒否
    ⇒冥王星 in 牡牛座…黒船来航により開国、大政奉還へ

こうしてみると、平和な時代であった江戸時代は冥王星の公転周期約一回分だったと言えるかも。牡羊座で新しい動きが始まり、牡牛座で定着させる

家康の人生を見ると、長命ではありましたが、亡くなる直前まで戦いに次ぐ戦いの日々でした。

太陽に冥王星が合で、占星術的に言うと、困難に取り組む中で水瓶座の太陽に向かい、意識を拡大していったのかもしれません。

そうして、理想とした平和の時代を、太陽系の中で一番長い冥王星のサイクルにリンクさせた、つまり250年の寿命を持つ時代の礎を作ることができた、と言えるかもしれません?

WinWinの関係をさがす不断の努力

最後に、『英雄たちの選択』の中で、磯田さんと脳科学者中野信子さんのコメントが興味深かったので、内容を要約してご紹介します。

中野さん: 家康は権威の使い方が巧み。勝ち過ぎないことが組織を維持していく上で重要。平和を実現するときには、拮抗している人の中で不断の努力、毎日努力できる忍耐力が必要。

磯田さん: 家康は落としどころが上手い。両者WinWinの関係。両方とも勝ち過ぎない、負け過ぎない、手前勝手をやり過ぎない、とはいえ相手にも勝手はさせないところの線引きを探す丁寧さがすごい。

どんな状況でも、自分の理想を求めながらも、少しでも相手を理解し、相手の身になって考える努力を常に怠ってはいけないのでしょう。(とても基本的なことですが。。)

明治時代から続く現在の冥王星サイクルは、世界大戦や核による脅威の時代となってしまいました。

次に冥王星が牡羊座に入るのは2066年頃。来るサイクルをどんな時代にするのか・・・それは、冥王星が水瓶座にある今、この20年間が重要なカギを握っているのかもしれません

おまけ~夏目漱石と家康~

趣味的な話ですが、、

家康と夏目漱石のチャートは以下の点で類似しています。

  • 水瓶座太陽と蠍座土星のスクエア(度数もほぼ同じ)
  • 太陽と冥王星が合 または スクエア
  • 牡羊座の海王星(オーブ内で合)

で、漱石が1912年に学生に向けて行った講演が『私の個人主義』という作品として残っているのですが、この内容がまさに水瓶座的だと思いました。

漱石は、当時の日本に蔓延していた、自分の腑に落ちなくとも「西洋人がそうだから」、「大衆がそうだから」、という集団主義に陥った受け売りは危険だと警告しています。

漱石は、自分が向かいたい本領が何なのかを見出せなかった状態を「霧の中に閉じ込められた孤独の人間」と表現し、

そして、自分の頭で物事を判断し、自分が本当に向かいたい道を追求すること、文学の概念を根本的に自力で作り上げること、

それが「個人主義」であると気付いたとたん、「心の霧」が晴れて、行く手を明確に知ることができた、と述べています。

さらに、

どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てるところまで行くことが幸福であり、

それを楽しむには、自分勝手に陥らぬよう、倫理的な責任を重んじるとともに、他人の個性を同様に尊重する必要がある。

と述べています。

参考:夏目漱石『私の個人主義』あらすじ解説 講演会の内容紹介-散文のわだち

何だか、先の家康の話と通じるものがありませんか??

簡単に言うと、「互いに認め合う個人主義」と言えましょうか。

冥王星の牡羊座入りを大きな区切り目とするならば、今は次の時代を左右する「思想(水瓶座)」的な分岐点と言えるのかもしれません。

・・・・・

後記:

最近「Chat GPT」を恐る恐る試してみました。

例えば、「トランプ前大統領のチャートについて、西洋占星術の観点から解説してください。」みたいな質問をしてみると、天体のサインやアセンダントはでたらめでしたが、それを訂正すると、謝って訂正し、あらためて返答してきました。

ですが、「トランジット冥王星が太陽に合を形成することについて占星術的に解釈してください」と質問すると、素晴らしい回答が返ってきて感心しました!こういうクックブック的な質問は得意そうですね。

近い将来は、文章形式の内容を、ほぼ自動的に動画に編集してくれると楽しいかも??

あるいは、AIの占星術カウンセラーもあり得ますね。正確でシンプルな言葉のチョイスは、意外と人の心に響くかもしれません?!

人間はどうしましょうかね~(笑)(^^;)

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