パラリンピックの歴史~グットマン博士から中村医師へ~

パラリンピックも無事に終わりましたね。日々感動の連続で、選手たちの喜びの涙や心の底からの達成の雄叫びは胸に迫るものがありました。

パラリンピアンたちのホロスコープを拝見していて、それぞれに想像を超える「人生のドラマ」があり、特にハードアスペクトに込められた意味は言葉では表せないと感じました。

なので、今回は「パラリンピックの父」と言われているルードヴィヒ・グットマン博士と、それを引き継いで東京パラリンピック開催にこぎつけた中村裕医師について書いてみます。(長文です~汗)

パラリンピックの種をまいたグットマン博士

ドイツ生まれのユダヤ人であるルードヴィヒ・グットマン博士は、1944年、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センターの所長を任されます。

第二次世界大戦で、特に脊髄を損傷した兵士たちの治療を通じて、その身体的・精神的なリハビリにスポーツが目覚ましい効果を上げることに着目、「手術よりスポーツを」の理念のもとに、治療や訓練にスポーツを積極的に取り入れます。

そして、車いす生活となった患者たちの社会復帰の一環として競技大会を思い立ちます

当時は、脊髄損傷で車いす生活になると、多くは半年ほどで亡くなったのだそうです。それがスポーツを取り入れることで活動的に、前向きに、明るくなり、結果として病気になることを食い止め、大きな成果をあげたそうです。

パラリンピックの起源 第一回ストーク・マンデビル大会

1948年、戦争をはさんで12年ぶりに開催されたロンドンオリンピック開会式の日に、主に脊髄を損傷した「車いす使用者」を対象に、リハビリの一環として第一回ストーク・マンデビル競技会を行います。(16名の車いす患者によるアーチェリー大会)

これがパラリンピックの起源とされています。

このささやかな競技会はその後毎年開催され、1952年には国際大会になります。

そして、1960年にオリンピックと同じイタリア・ローマで開催された国際ストーク・マンデビル車椅子競技大会が、のちに第一回パラリンピックと見なされます。

1948年の競技会は小さな大会でしたが、グットマン博士の中には、単なるリハビリのための大会ではなく、「車いす者のためのオリンピック」としてのビジョンがすでにあったようです。

グットマン博士の言葉として有名なのが、次の言葉です。

「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ
 (It's ability, not disability, that counts)」

とても勇気づけられますね。

言葉に説得力と愛情があります

グットマン博士のチャート

グットマン博士のチャートを見てみましょう。出生データはWikipediaより。時間は不明。

ざっくりとですが、

  • 蟹座の太陽と牡牛座の月・・・人が人として良い状態で生きられるように、心身共に寄り添いケアをする
  • 海王星オリエンタル・・・夢や理想を実現させる必要性や創造性。金星・冥王星と合、土星とオポジションで、大きな愛を形にする
  • 双子座・射手座・乙女座のTスクエア・・・研究者、治療を施す人、精神的リーダーであり、情熱と愛情をもってものごとを忍耐強く改革していく

「治療者としての大いなる愛情」と「改革者としての行動力」の両面が感じられますね。

  • 獅子座の水星と蠍座の木星のタイトなスクエア・・・情熱と信念に満ちたコミュニケーション能力。双子座と射手座のオポジションと共鳴。

水星と木星は、牡牛座の月とともに不動宮0度で、考えを貫く頑固さが感じられます。

余談ですが。。

神経の損傷(双子座)を、画期的なスポーツの訓練(水瓶座・射手座・土星)でリハビリ(乙女座・火星)する、とも言えます。

そして、乙女座の火星(Tスクエアの頂点)はキーになる天体で、「機能を改善させる技術」や「戦争による脊髄損傷者に焦点を定める」ことを示しているかも。

ミッド・ポイント

柔軟宮の度数に着目すると、

  • 天王星ー火星ー冥王星ー土星ー金星ー海王星ーノード

の六天体と感受点がほぼ均等に並んでいて、ミッドポイントで緊密に連携しています。

行動力(火星)、責任(土星)、愛情(金星)がすべてのトランスサタニアンとノードに関わり、個人の範囲を超えて社会に大きな影響を与える可能性を示唆しています。

  • 太陽=水星/金星・・・理想主義
  • 冥王星=水星/木星・・・強力なコミュニケーション力、説得力
  • 天王星=太陽/木星・・・成功への期待、幸運の感覚
  • AP=ノード=太陽/冥王星・・・パワー、目的意識や人々への影響力が際立つ

必ずうまくいくという信念、人との関係の中で理想とする目的を達成する力など、ダイナミックさが感じられますね。

すべての要素が、蟹座の太陽と牡牛座の月の表現に統合されたのだな、と思います。

次に、グットマン博士から大きな影響を受けた中村医師について書いてみます。

1964年の東京パラリンピック開催へつなげた中村裕医師

1960年当時、英国では身障者が驚異的な割合で社会有給復帰をしていたころ、日本では身障者は「ベッドで寝て過ごすことが一番」と考えられていました。

グットマン博士との出会い

中村裕医師は、視察のために訪れた英国のストーク・マンデビル病院で、障害者がリハビリテーションの一環としてスポーツを行い、さらには社会全体で受け入れるシステムが存在したことに強い衝撃を受けます。

以下、中村医師とグットマンの出会いについての記事の抜粋です。とても興味深いやりとりだと思い引用しました。

ルードウィッヒ・グットマン博士との出会いは衝撃的なやり取りから始まった。

「きみは日本人か、いままでにも何人もの日本人がやって来たよ。みんながここのやり方をまねしたいと帰っていった。ところがいまだに一人として実行していないようだ」

「ほんとうに素晴らしいものなら、私はまねをする」

「素晴らしいと思うかどうかは、きみの主観だ。事実だけをいえば、ここの脊損(脊髄損傷)患者の85パーセントは、6カ月の治療・訓練で再就職している」

当時の日本では脊損患者が10人いたとして社会復帰できるのは1人か2人。それも何年もかかるため、ほぼ再起不能と見なされていた。6カ月で85パーセントは驚異的な数字と言っていい。中村の猛勉強が始まった。

日本財団ジャーナル【オリ・パラ今昔ものがたり】障害者スポーツの先駆者、中村裕を思う

https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2020/44842

中村医師がどれほど衝撃を受けたか、少なからず想像できますね。

そして、帰国後すぐに障害者スポーツの普及を目的とし、第1回大分県身体障害者体育大会を開催。中村医師の決断力と行動力が伝わってきます。

第二回東京大会開催とその後

「障害者を見世物にするな」「あなた、それでも医者ですか」など多くの批判を受けて、地方の活動ではなく国際大会を開催しトップダウンでの普及の必要性を痛感します。

その後、 1964年の東京パラリンピック開催に向けて奔走。

医師としての診察をこなしながら、パラリンピック開催に向けての支援依頼、説得、交渉、啓蒙、組織作り、予算編成、企画計画、スポーツ指導などありとあらゆる役割をこなします。

さらに、東京大会では日本人選手団団長も務めます(すごい。。)

グットマンが車いす使用者に限定していたのに対し、中村医師はすべての身体障害者を対象にすることを画策します。

そして、大会を二部制で、第一部を国際ストーク・マンデビル大会(車いす使用者)、第二部をすべての身体障がい者と西ドイツの招待選手による国内大会として開催します。

東京大会で浮き彫りになったことと「太陽の家」の設立

大会は成功したように見えましたが、中村医師は、日本と西欧諸国との障害者の差を見せつけられます。

特にショックだったのは、大会期間中、西欧諸国の参加者が自分でタクシーを呼び銀座へショッピングに出かけるなど、一人の自立した人間として活動する生き生きとした姿でした。

そして1965年、「保護より働く機会を」をモットーに「太陽の家」を設立。保護に頼る日本の福祉を変えようとします。

また社会に対しては「世に心身障害者はあっても仕事の障害はありえない。太陽の家の社員は、被護者ではなく労働者であり、後援者は投資者である」と啓蒙。

賛同するいくつもの企業と共同出資会社をつくり、多くの重度障害者を雇用します。

中村医師は、障害者のリハビリとしての競技大会開催後、社会の中で自立して生きることのサポートへと目的や活動が広がっていきます。水瓶座的な要素が漂っていますね。

それでは、中村医師のチャートを見てみましょう。

中村裕医師のチャート

  • 牡羊座の太陽と水瓶座の月(多分)・・・人道的活動におけるパイオニア。天王星が牡羊ポイントにあり、さらにノーアスペクト&オリエンタル(!)で、水瓶座月の人道主義の傾向と強く共鳴していますね。
  • 太陽は蟹座の冥王星とスクエア・・・月は(おそらく)獅子座の海王星とオポジション。弱者が社会の中で自分らしく生きることをサポートするために常に困難に立ち向かう。

中村医師は、障害者の治療や訓練だけでなく、彼らが社会復帰するための施設や制度などの環境づくりもしています。水瓶座や天王星が効いていてなるほどですね。

  • ざっくりとですが、双子座、射手座、魚座のTスクエア・・・グットマンと同じく、土星と火星を含む柔軟宮のTスクエアですが、中村医師のチャートでは魚座が頂点となり、範囲を限定せず誰をも受け入れる要素が感じられます。

さらにグットマンと同じく土星が射手座であるのは興味深いです。

スポーツによる訓練(射手座・土星)を日本で初めて治療に取り入れました(牡羊座太陽)

  • 魚座の水星と木星・・・人々のイメージに訴えるようなコミュニケーションやプレゼン力。あるいは、人の心を感じ取る共感力。双子座の火星で、フットワークよく動きまわり広く情報を集める。

中村医師の人生を外から概観すると、

「人助けのために社会を変えたい」(水瓶座の月=最重要の欲求)
「パイオニア」(牡羊座の太陽=人生を貫くエネルギー)
「スポーツなど身体を動かすことによる訓練」(射手座の土星=具体的な目的・方法・分野)

と言えるかもしれません。

人生をフルに生きると、やはり太陽・月・土星に集約されるのですね~

ミッド・ポイント

ミッドポイントをいくつか選んでみました。

  • 金星(牡牛座)=太陽/土星・・・使命や責任がビジネスにつながる
  • 水星=火星/土星・・・アクセルとブレーキを兼ね備えた思考
  • 木星=太陽/海王星・・・直感や想像力が成功をもたらす 理想主義
  • 太陽=冥王星/ノード・・・人々への大きな影響力、使命感
  • AP=金星/海王星・・・創造性、弱者への愛情が際立つ
  • AP=火星/冥王星・・・究極のバイタリティが際立つ

やはり、愛情、責任、パワーが強調されていますね。

以前、中村医師を扱ったテレビドラマの中で、「障害者が納税者になることをめざす」という台詞がありました。牡牛座の金星=太陽/土星のミッドポイントが示しているように思います。

グットマン博士と中村医師のシナストリー

中村医師がグットマンからどのような影響を受けたか、あるいは反対に与えたか、シナストリーをみてみました。

シナストリーその①

  • 太陽、月がそれぞれスクエア・・・お互いの目的や欲求がぶつかりながらも自分に不足している要素に気づかされる。
  • ざっくりとですが柔軟宮のグランドグロス・・・お互いの“肝”同士が関わっていて「使命や情熱の方向性の共有」が感じられます。

細かくみると、

  • グットマンの火星(&天王星)に対して、中村医師の土星
  • 中村医師の火星(&水星・木星)に対して、グットマンの土星(&金星・冥王星)

というように、お互いの火星に土星がハードに関わっています。「互いに鍛え合う」感じですね。先駆者であるグットマンも、少なからず中村医師から影響を受けたと思われます。

  • お互いの金星と火星がコンジャンクション&トライン・・・モチベーションを高め合います。恋愛に限らず、師弟や仕事関係などでも、ワクワク感という意味で金星・火星のアスペクトは意外と重要なのでしょう。
  • 縁を表すノード同士がオポジション・・・松村潔先生はノードのオポジションを「お互いの尻尾を噛み合うヘビ(龍?)」に喩えておられました。互いの尻尾をかんで、何度も生まれ変わるイメージですね。過去と未来で人生を共にくり返しているのかもしれません。

シナストリーその② ちょっと細かいですが・・

二人とも水星と木星のタイトなアスペクトがあり、そこに注目してみるとこんなミッドポイントが成立していました。

中村医師の水星=木星 = グットマンの冥王星=水星/木星

中村医師の活動をみると、コミュニケーション能力が相当高かったと思われますが、それは、グットマンから大きなインスピレーションを受け、理想を実現するために奔走するうちに磨かれたものかもしれません。

そして、障害者のコミュニケーションの在り方について180度考え方を転換させられた、と言えるのでしょう。

反対に、グットマン博士は当初、競技大会を「車いす使用者」限定にこだわっていましたが、中村医師の説得によりそれ以外の障害者の参加も認めていて、やはり考え方の転換を促されたと言えます

お互いに影響を与えあっていて、このシナストリーのミッドポイント表示がピタッとハマっていますね~。美しくさえあります。。

ものごとを大きく動かしていくシナストリーには、ほぼ必ずダイナミックなアスペクトがあるな~といつも感心させられます。

パラリンピックの変遷と天体の動き

パラリンピックの起源から今の形ができあがるまで、遠い天体、特に冥王星のサインの動きに注目しながら時系列で並べてみました。

第一回ストーク・マンデビル競技大会開催(16名参加)

まずは、原点と言われている大会の日のトランジットを見てみました。

1948年7月28日(ロンドンオリンピック開会式の日)、内円はグットマン、外円が当日のトランジットです。

  • トランジット木星(射手座)が土星にコンジャンクション
  • トランジット海王星が太陽にスクエア
  • トランジット天王星がノードにコンジャンクション

スポーツによる訓練のための大会の原型を形作りビジョンを実現し、画期的な体験を人々と分かち合うという感じでしょうか。

グットマンにとって重要な射手座の土星に木星がコンジャンクション*であるのが興味深いです。

また、このとき冥王星は獅子座の15度(サビアン度数)、不動宮・火のサインのピーク点にあります。「個々の自己表現」が大きくクローズアップされるとき、と言えるでしょう。

*「トランジット木星が出生の土星にコンジャンクション」については、前回の記事の最後にRobert Hand氏の解説を掲載しています。よろしければお読みください。東京オリンピック空手女子形~清水希容とサンドラ・サンチェス~

その後の流れ

以下、重要と思われる年をピックアップします。

1952年、国際競技大会として開催(130名参加)

1955~1957年、天王星が獅子座へ、海王星が蠍座へ、冥王星が乙女座へ

国際大会への飛躍

1960年、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、フランスの5か国により国際ストーク・マンデビル大会委員会(ISMGC)が設立され、グットマンがその初代会長に就任

1960年(第1回)ローマ大会(23か国、400名参加)。オリンピック開催の年に、開催都市で行われる。
(木星が射手座)

★1961年、山羊座で木星と土星の合
1961~1962年、天王星が乙女座へ

中村医師ら、東京大会準備委員会は、車いす使用者だけではなく、すべての身体障がい者が参加できる「国際身体障がい者スポーツ大会」の開催を決意。グットマンら関係者に理解を求めた

1964年(第二回)東京大会。二部制で行い、 第二部をすべての身体障がい者と西ドイツの招待選手による国内大会として開催。
(土星が水瓶座、天王星&冥王星が乙女座、海王星が蠍座)

1971~1972年、冥王星が天秤座へ

1972年ハイデルベルク大会。オリンピック開催都市で行う方式が復活
(木星が射手座)

国際身体障害者スポーツ大会への発展

1976年トロント大会。車いす使用者にこだわり続けたグットマンが折れて、ようやく切断者と視覚障害者が出場。同年、第1回冬季大会、エーンシェルドスピーク大会も開催

1980年3月、グットマン逝去

1980年アーネム大会。脳性まひ者が参加

★1981年、天秤座で土星と木星の合
1983~1984年、冥王星が蠍座へ、海王星が山羊座へ

1984年ニューヨーク/ストーク・マンデビル大会。機能障害者の参加が認められる

1985年、国際オリンピック委員会(IOC)が「パラリンピック」を大会名として使用することを正式に認め、1960年のローマ大会を第一回パラリンピックと追認する

競技性の高いスポーツ大会へ

1986年、国際聴覚障害者スポーツ協会と国際精神薄弱者スポーツ協会が国際調整委員会(ICC)に加盟。

1987年、アーヘン(オランダ)での会議が世界の情勢を大きく変える。

リハビリの延長ではなく、競技性の高いスポーツ大会を望む多くの競技者やスポーツリーダーの不満を解消するため、すべての競技者、組織や国・地域の統一組織の設立について模索がはじまる。

1988年、土星と天王星が山羊座へ

1988年ソウル大会。ICC主催。IOCが直接関わる初めての大会となる。初めてオリンピックと同じ会場が使用され、61か国から3,057名の選手が出場(聴覚障がい者と知的障がい者の出場は認められていなかった)。

1989年9月 国際パラリンピック委員会(IPC)の創設

(土星・天王星・海王星が山羊座、冥王星が蠍座)

IPC創設以来、『パラリンピック』は障がい者にスポーツ活動の機会を提供する理念「機会均等と完全参加」と「障がい者のスポーツのエリート性」を表す言葉になった。これ以降、継続した大会運営が行われる。

1995~1998年、天王星・海王星が水瓶座へ、冥王星が射手座へ

世界最高峰の障がい者スポーツ大会へ

1998年長野冬季パラリンピック。クロスカントリースキー種目のみ、初めて知的障害者の参加が認められる。

1990年代後半から競技力の向上を目指すようになり、テニスの国枝慎吾(くにえだ・しんご)選手のようにプロ宣言するトップ選手も現れる。

★2000年、牡牛座で木星と土星が合

2000年シドニー大会。IOCとIPC間で正式に協定が結ばれ、オリンピック開催国はオリンピック終了後に引き続きパラリンピックを開催することが正式に義務化される。

2003年、天王星が魚座へ
2008年、冥王星が山羊座へ

2008年北京大会。この大会以降、オリンピック・パラリンピックがひとつの組織委員会で運営され、開催国にはパラスポーツが浸透し意識変革も起きる。

北京大会開催後の中国は観光地や公共交通機関のバリアフリーが進む。

2010~2011年、天王星が牡羊座へ、海王星が魚座へ

2012年ロンドン大会。英国ではその後、障害者雇用が開催前と比べて100万人近く増える。

2019年、天王星が牡牛座へ

2021年、東京大会。東京は世界で初めて2度目のパラリンピックを開催した都市となる。

今大会は「多様性と調和」を掲げ「共生社会の実現」を目指す。パラリンピックやパラアスリートの認知が高まり、公共施設や公共交通機関のバリアフリーが進む。

遠い天体、特に冥王星に注目すると、何となく流れが見えてくるかも。

パラリンピックの変遷と冥王星のサイン

冥王星が通過するサインは、その時代に変革が起こる大きなテーマを表していて、パラリンピックの歴史と何らかの関連があるのではと思い検討してみました。

ざっくりとですが、

  • 冥王星が獅子座の時代は「個人の自己表現」
  • 乙女座は「機能回復訓練」
  • 天秤座は「機会の平等性」
  • 蠍座は「欲求と意志」
  • 射手座は「スポーツとしての最高峰」

そして、現在、

  • 山羊座は「社会体制の変革」

このようなテーマで変遷して今に至っているように思いました。

「自己表現」、「リハビリ」、「より平等なスポーツの機会」、「意志の統一」「スポーツとしての高み」そして「社会の変革」へ。パラリンピックの意味の変化が見えてきますね。

そして、その原点は、獅子座が示す「生命の喜び」だったのかな、と感じています。「獅子座・5ハウス・太陽」は、根源から湧き上がる生きるエネルギーなのでしょう。

パラリンピックの変遷とグレートコンジャンクション

また、木星と土星の合(グレート・コンジャンクション)に注目すると、

  • 1961年、山羊座(土サイン)・・・土台ができる
  • 1981年、天秤座(風サイン)・・・人と人の交渉を通して世界に広がり参加者も増加
  • 2000年、牡牛座(土サイン)・・・形としてほぼ完成?
  • 2020年、水瓶座(風サイン)・・・テクノロジーの進化とともに技術も認知度も飛躍的に向上

こうして見ると、パラリンピックのこれまでの歴史は土と風の入れ替わりの時代だったのですね。第一回が1960年なので今年で61年目、人間でいうと還暦のころに当たり節目の年であったと言えるかもしれません。

1964年東京大会の新芽が、今大会(東京2020)で大きく実っていると考えると、感慨深いですね。人間の志が形になるってすごいことだな、とあらためて思います。

まとめ・感想など

パラリンピックの観戦は知れば知るほどおもしろく、やはり最高峰のスポーツ大会なのだと思いました。一つのことを磨き上げた人の姿を見るのは本当に楽しいです^^

「無いからできない」のではなく「無くても補うことができる」のを目の当たりにして、無意識のイメージがひっくり返されました。

また、車いすや義手義足などの器具を、体の一部として自在に動かしているのを見て、テクノロジーの進化は人間の可能性を広げてくれているのだな、と思いました。これは恩恵ですね。

現在、歯医者で人工の歯を入れるのが普通のことであるように、近い将来、身体の機能の一部をテクノロジーのお世話になることが、ごく当たり前になるのかもしれません。

変な話ですが、例えば、もし義足の方が早く走れるとしたら、世界一を目指すランナーにとっての価値観はどうなるのだろう??と思います。そんなに遠くない未来には常識が今とは全く異なっているかもしれませんね。。

その他、パラリンピック独特だなと思ったのは、陸上の伴走者、ボッチャや水泳のサポートなど、サポートする人の存在です

ある女子陸上マラソンの伴走者は、走り終えた後に「ありがとう」と言って男泣きしていました。その伴走者はかつて箱根駅伝を走った経験があるとのことでしたが、サポーターもまた大きな喜びをもらっているのだな、とその胸中に思いがいきました。

私の妹も障害を持っているのですが、妹の施設をたずねるといつも思うことがあります。それは、サポートする人とされる人は両者がいて成り立っているのだ、ということ。

障害がある人は「お世話してもらう=弱い立場」という思い込みの常識が私の中にはありました。

でも、ある時、妹や周囲の人を見ていて、話をして、もしかしたら妹も何らかの「喜び」を相手に与えているのかもしれない、とふっと思えたのです。「お世話する喜び」、それが相手に必要なこともきっとあるんだな、と。

それは、私の中では静かな「目からウロコ」の体験でした。

パラリンピックから(オリンピックも)たくさんの元気をもらいました。本当にありがとうと言いたいです。

・・・

長文お読みくださり、ありがとうございました!ちょっと疲れたので、次回はライトな内容にしたいと思います(笑)

豆知識:「パラリンピック」の名称は、東京大会で初めて公式文書に使用されましたが、そのときには「パラレル(もうひとつの)」ではなく、「パラプレジア(対まひ=下半身まひ)」の意味で使われていました(現在の意味になるのは1985年)。つまり、「パラリンピック」という名称は日本発祥なのだそうです。

参考:
Wikipedia
日本パラリンピック委員会のHP「パラリンピックとは」
日本財団ジャーナルのHP「オリ・パラ今昔ものがたり」

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