人間関係と「のぞき穴」

またまた日記です。

先日、長女が高校時代のDVD(吹奏楽マーチング全国大会)を見ていたので、私も懐かしく見入っていました。久しぶりに見ると、まさに青春! あの頃の忙しくも充実した日々が甦り、ああ、本当によく頑張ったなあ、と色々なことが思い出されました。

で、ふと思ったのが、

私が長女の体験について知っているのは、もしかしてほんの一部なのでは?ということ。朝は始発で登校し、夜は9時過ぎに帰宅し、土日は部活動でほぼ家にはいませんでした。さらに、学校や友達とのできごとについて、多くを話すタイプではなかったので、私が長女についてわかっていることは、ほんの一面に過ぎないのでは、とハッとしました。。。

それなのに、もっと知っているような気がしていた。。こどもだし、家族だし。。

ということは、私自身の日々の体験や感じたこと、考えていることについても、夫やこどもと言えども、ほんの一部しか見ていないし、知らないのではないか?!と思いました。確かに、家族とは関係のない、家族が知ることのない、たくさんの時間を自分も過ごしている。それなのに、家族は自分のことをもっとわかってくれているはずと思っていたかもしれない?!

ということは、

私が、自分の父や母について、見てきたこと、知っていると思っていたことは、ほんの一部分だったということなのでしょう。父や母にも、私が知らない世界がたくさんあり、私が把握していたのは、ほんの一角にすぎなかったのです。それでも、こどもの頃の自分の中には、すごく大きくな全体像としての父や母がいたな、と思います。

同様に、父や母も、私についてほとんど知らなかったはずなのです。

絵にすると、たとえばこんな感じ。

ほんの一部の、のぞき穴のような接点で、そのとき自分に向けられた表情や言葉、態度から、それを相手の全てと思い込んでいたのでしょう。妄想によって、勝手に自分でストーリーを作り上げてしまう。それぞれが、それぞれの接点からストーリーを作るので、同じ人についても全く違ったイメージを持つのです。姉妹で「母」のイメージが全く異なることはよくある話ですね。

私は、よく、父にしかられて腹を立てて、「父は自分の何を知っているのか?!」と思ったけれども、私の方も父のことを何もわかっていなかったのでしょう。

そして、私の中で、母は「幸せではなかった」という人物像になっているけれども、それも私が勝手につくりあげたイメージに過ぎなくて、母にも幸せな時間はたくさんあったはずなのです。

そう考えると、人間関係の悩みは、ほぼ全て、勝手につくりあげた妄想からきているのでは?私たちは、ちっちゃなのぞき穴から見た、聞いた、感じた、ことから、不幸になるシナリオをどんどん膨らませるという習性があるのかもしれません。

なので、「妄想」を膨らませている自分、そのような癖がある自分、を客観的に見ることが必要なのですね。

私たちは、繊細で傷つきやすい、やわらかいものを内面にもっていて、だからこそ、触れ合う小さな『接点』を大切にしなければいけないのですね。。

そんなことを思いました。

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